2015年7月26日日曜日

原爆ドームの目の前で世界中の子供達が笑顔でピースサイン出来る日<後編>

慰霊碑と原爆ドーム























原爆ドームの目の前で世界中の子供達が

笑顔でピースサインできる日



まだ<前編>をお読みでない方はこちらからどうぞ
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『先生、なんで原爆ドームの前で

 ピーサインしちゃいけんの?』



あれから30年たった今、日本では戦後70年の節目の年を迎え、
僕は40歳を越え家族を持ち、僕自身が子供を持つ親となった。
今でも多くの方がたった一発の原子爆弾で一瞬のうちになくなったこの場所で、笑ったり、笑いながらピースサインして写真の中におさまったりしてはいけない場所だと思うし、結婚式などのお祝いの席でその事を話の話題に出すことは決してなかった。

あの日までは…








原爆ドームの目の前で世界中の子供達が笑顔でピースサイン出来る日






<後編>第一章

『広島も変わったのぅ』

と70歳を迎える父親がつぶやいた




ちょうどひとつ前の暑い夏の日

僕は久しぶりに広島の街に足を降ろした。

いつもは親父とマツダスタジアムに行く為に
家族にわがままを言い
僕一人での夏の帰省はしょっちゅうだった。

子供が出来てからは一年に一回の帰省は
お正月だけだった。

家族を連れての初めての暑い夏の日の帰省だった。




今回の帰省の目的は姪の結婚式への
家族での出席のためだった。

最初は姪も気を使って

『おじさん一人でもええよ。』と言われたのだが

最近になって学校の図書館で‘貞子の折鶴’
のお話を読んだ子供が改めて‘原爆の子の像’に

『今度広島に行く時には連れてって』

と言われていたから


姪にも

『出来れば家族全員で参加してもええかね?』

と無理を言って広島へ帰省する口実作りのために
家族で参加させてもらう事にした。

東京に居てもせめて自分の家族には
広島に落とされた原子爆弾の事は
きちんと話しておかなければいけないと思ったし

子供達にも

8月6日8時15分は特別な日時である事

を言い続けてきた意味を

より深く感じてもらえればと思っていた





そして参加した姪の結婚式で見たあのVTR

広島と頭に付く学校を卒業した姪の友人達が



原爆ドームをバックに

バックストリートボーイズの曲をバックに

楽しそうに踊る姿


およそ10年前

結婚式では原爆ドームをネタにしてはいけないと

思い込んでいた私のまえで堂々と踊る姿


暗い顔をして

ピースサインをしてはいけないあの場所で

楽しそうに笑いながら踊る姿



一瞬

僕の頭の中で何かがはじけた気がした



もしタイムマシーンがあるなら

30年前の社会科見学で原爆ドームに

行く前のあの教師に戻って

先生に

『なんでピースサインしちゃいけんの?』

ではなく

『世界平和をアピールするために
 ピースサインをしてはいけんの?』

と聞けば先生も変な顔をしなかったかも

と一瞬思った


でも現実世界にタイムマシーンはない

でも今なら子供たちに

『原爆ドームの前で
 どうしてピースサインしちゃいけないの?』

と聞かれたら

変な顔で答えるのではなくて

『どうしてピースサインをしようと思うの?』

と聞いてみようと思う


たったそれだけの事

自分の意見を言う前に

相手はどうしてそんな発言をしたのか?

を聞いてみる事


それが世界平和への一番の近道


の様な気がした







20代の若い姪の友人達が

原爆ドームで楽しそうに踊る姿を見ながら



『広島も変わったのう』

と日本酒をすすりながら
70歳になる親父がつぶやいた




翌日

家族で訪れた原爆ドーム

カメラを向けたその先で

子供が笑顔でピースサインしていた

ここで笑いながらピースサインしちゃダメよ』

と自分の子供に言いながら

本当にそうなんだろうか?

と僕自身が迷い始めた…
















<後編>第二章

『いつ世界平和を叫べばいいのか?』


8月6日8時15分に僕が会社で叫んだ後

瀬戸内海と日本海の潮がぶつかる街から
東京に出てきた上司が営業会議の後

「だまって俺についてこい」と

サラリーマンの街にある
一軒のお好み焼き屋さんに連れて行かれた


広島の人気球団の名前がついたお店で

店内はたくさんのスーツ姿の人で
あふれかえっていた


その上司から

「このお店が最初からこんなに
たくさんの人で埋まっていたと思うか?」

「行列の出来るお店が最初からずーっと
行列が出来てたと思うか?」

「今朝の営業会議で君が言った言葉は
同じ西の人間だから応援してやりたい
と思ったよ」

「でもな営業会議がある事は今日
分かった事なのか?」


「あれじゃ
お客さんの前にいきなり新商品を出して
これ買ってくださいと言ってる売れない
営業マンと同じだぞ」


「8月6日8時15分に営業会議が
重なる事が分かった時点で一言
言えばよかっただけだろう?」


「わしは広島の人間ではないから
はっきり言えんけど

戦争が起こって
戦争反対って言っても意味ないから

今の平和な時代に

広島の人は一生懸命

世界平和を訴えてるんだろう?」


「その意味が理解出来るなら
なおさら今朝の事は反省しないとダメだぞ」


わかってる

僕がどれだけ薄っぺらな人間か
僕自身がよく分かっている


だけどそれを理解するより
その事に反発した僕は
その会社を辞めてしまった

今となっては

その時の上司の言葉がいかに
温かい言葉だったのかを理解しても
遅すぎるのだが…








<後編>第三章

『お見舞いにこんでええよ』

と入院中の彼女が言った本当の理由




原爆症で入院中の高校の同級生

彼女の白血病が見つかったのは

自ら‘人助けをしたい’という思いから
ナースの道を選んだ彼女

その看護学校に入学するための必要書類の
健康診断を受けた時だった


看護婦の道を選ぼうとした自分が
まさか看護される側になるとは
思っていなかったのに…


自分の苦しむ姿を他人に見せたくない
自ら病気に打ち勝つ姿を見せる事で
他人にも勇気を届けたい

それがお見舞いにこんでええ
表向きの理由だった



ナースの道を選んだ彼女が
お見舞いにこんでええんよと言っていた
本当の理由を後から聞いた



原爆症とははっきり告知されてないが
子供の頃から聞かされていた原爆症

ガラス張りの隔離病棟で自分の身に
起きる恐ろし変化





もしかしたらお見舞いに来た人に
移ってしまうかもしれん

自分と同じように苦しい想いをさせたくない


心優しい彼女




だから出来るだけみんなには
自分が入院した事は知らせんといて


お見舞いにこんでも絶対よくなって
元気な姿をみせるけんね










もし

彼女がナースになっていたら…










絶対に患者さんに好かれてただろうなぁ…




もしあの時の自分が彼女の友人から
聞いた言葉を信じて

もう一度笑いながらピースサイン出来たなら…








戦後70年に向けて

自分も何かできる事はないか


出来るだけ毎日ブログを書いて

毎日

頭の中の荷物の整理をし


頭の中がだいぶん整理され

頭の中の荷物が片付いたら


荷物が頭の中じゃなくて

僕の心の中にあった事に

突然気付いた




あの時

彼女の言葉を信じて


お見舞いに行かず

後悔している自分



周囲に反対されても

お見舞いに行き

ガラス越しにでも笑いながら

一緒にピースサインでも出来たら

もっと彼女を元気にさせられたかなぁ?



そんな心の隙間に

ふっと聞こえた


『うちの事は忘れてええけん

いっぱいいっぱい笑って
いっぱいいっぱいピースしんさい』



そっか

僕はここにいて



彼女の代わりに笑えばいいんだ


彼女の分も

いっぱいいっぱい笑えばいいんだ



原爆ドームの前で下を向き暗い顔をして
ピースサインもしちゃダメですよ

と教えられてきたが


僕には笑う事も

ピースサインする事も出来るんだ





世界中に笑顔を増やし

世界中でピースサイン出来る場所を
たくさん作ればいいんだ



なんだかそれが僕の使命の様な気がしてきた



自ら負の遺産を名乗り

暗い顔してピースサインはダメですよ

をやめればいいんだ


と心の中で思いながら

僕にはそれをする勇気がない事に気付いた…









<後編>第四章



『わしの事は忘れてええ言うたけどほんまに忘れるやつがおるか!』





広島での教育実習を終え

高校の担任に連絡もせず東京へ戻った僕

そこへかかってきた一本の電話の相手が

その高校の担任だった

『せめて電話くらいして来いよ』


そういいながら
僕の進路相談より先生に聞いておきたい事が
ひとつだけあった

『先生 

なんで3年前


彼女が入院した事

教えてくれんかったん?』





先生は
『バカいえ
 わしはお前とこにも連絡いっとると
 聞いとったぞ』

そうじゃったんか…


『みんなで声かけあって集まって
 お見舞いに行ってあげりゃ
 少しは違ったかもしれんけど

お前も他の元気よかった奴らは
みんな東京か大阪に出とったけんの



先生に言われて初めて

広島を離れて

東京に出てきた事を後悔した





その事を考えると

東京で一人



涙が止まらなかった…











高校の担任の事は忘れても
先生の言った事だけは何故か
今でも忘れられない

高校の卒業式の後の

担任のあの言葉



『わしの事は忘れても広島で育った事だけは絶対忘れんさんな』



















<後編>第五章


子供たちの笑顔とピースサインで

世界は平和になるか?



どうかはわからない


でも子供たちの笑顔やピーサインを奪うのは
大人だと思うし


子供達が笑顔でピースサイン出来る世の中は
平和だと思う





そのために大人ができる事は

子供たちの夢を育み
想像力を豊かにすること


それを奪うのも
それを大きくするのも

僕たちの責任だと思う





ゆとり教育なんて言葉を耳にするけど

本当にゆとり教育を受けるべくは
ゆとりのない僕たちなんじゃないか?

と思う事がある



僕自身に子供たちの意見や夢を聞く
ゆとりがあるか?

日々僕自身に問いながら生きてみる






30年前
『なんでピースサインしちゃいけんの?』

と聞いた子供だった自分



原爆ドームの前で暗い顔して
ピースサインしちゃダメですよ

と教えてくれた大人を非難するつもりはない


それで充分

原爆の悲惨さを伝えられる



だけどそれだけじゃ

何も変えられなかった

30年間




この先の30年

戦後100年を迎える時


世界を変えているのは

今の子供達なのかもしれない


そのためにも
会社でも中間管理職と言われるようになった

僕たち自身が

被爆者の声をきちんと聞き
それをきちんと伝え

その事を

子供達がどう受け止めたか?

まで確認する必要があると思う






最近ある新聞の記事の中で

ある小学校で戦争体験者が

自身の戦争体験を語ったあと

その小学生達に

『戦争にいきたい人は手を挙げて』
との問いに


数名の小学生が手を挙げた事に
落胆した事が書かれていたが


僕が本当に知りたかった事は

戦争に行きたいか?と聞かれ

行きたい!と言った理由が知りたい



おそらく僕の予想ですが

悲惨な戦争体験を聞いて
戦争に行きたいといった小学生のほとんどは

戦争を止めるために
自分が戦争にいって戦争を止めたい

と思っているのではないかと思っている




僕が本当に言いたいことは


戦争にいく事だけが
戦争を止める方法ではない事



戦争に行く以外の世界平和への道を
子供達と一緒に語れるようになれば

何も変えられない大人達の意見より

信じられない発想の子供目線の意見が

世界を良い方向に変えられるかもしれない



自分の着たい服を着て
自分の食べたい物を食べて
自分の言いたいことを言えて

それこそが平和の原点だと思う







原爆ドームの前で笑顔でピースサインする勇気は
僕にはないけど


子供達の声に耳を傾ける事は出来る






まずは自分でも出来る事を

始めてみようと思う






ピースサインは平和のしるしと勘違いしていた

30年前小学生だった私も


ピースサインが勝利のVサインである事を知った今


広島の原爆ドームが世界平和を訴え続けて

その悲惨な姿で立ち続けた未来に



核兵器のない平和な世界に向けた戦い


この勝利こそ本当のVサイン




原爆ドームの前で世界中の子供達が笑顔でピースサイン出来る日




ユネスコ認定の海洋アニメ
幼児教育

せんすいかんウーリー!





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