2015年1月31日土曜日

2015年キャンプイン カープファンのドキドキ感が半端ねぇ…(笑)




















2015年(平成27年)1月31日の
毎日新聞の中の
月刊なるほドリの池上彰さんの
記事です!!


私が東京に出てきてから
ほとんど記憶にないのですが…


通常 カープの記事を見かけるのは

巨人とのオープン戦が始まる頃から
なんですが


キャンプイン前日から

黒田 始動!!がニュースに



東京のカープファンも嬉しいの一言です




頑張れ!

広島東洋カープ☆



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2015年1月30日金曜日

広島カープの輝く星☆になれ!!  大瀬良大地選手!

























 初心が割と長かった
大瀬良大地投手























初心の想い出ソングのひとつ

ミスチルのKIND OF LOVEの中の

『星になれたら』





この街~を出て~行く事に~♪
の唄い出しから


長く助走をとった方が
より遠くに飛べる気がした
のサビの部分




初心が長かった大瀬良大地投手なら

きっとカープの輝く☆星になれる




頑張れ!!
大瀬良大地!

頑張れ!!
広島東洋カープ☆






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『最後はお世話になった広島で』黒田選手とともに復帰の新井貴浩選手

 

『最後はお世話になった広島』
を選んだ新井貴浩選手
 
 
 
1977年1月30日生まれ
みずがめ座 B型
広島県広島市江波出身
 
身長189㎝/体重96kg
 
 
【経歴】
広島県立広島工業高等学校ー
駒澤大学
 
1998年ドラフト6位で広島へ
 
1999-2007年広島カープ
初出場は1999年4月3日の中日戦
            (ナゴヤドーム)
2008-2014年阪神タイガース
 
2005年ホームラン王
2005年ベストナイン(一塁手)
2008年ゴールデンクラブ賞
2011年打点王
 
 
そして2015年は古巣復帰の新井選手
 
 
背番号も25から28へ
(ちなみに25番は高橋大樹外野手)
 
 
引退覚悟の新井選手
 
色々な意見はありましたが
最後は広島を選んでくれてありがとう!!
 
 
今年は頼みます!!
 
そして誕生日おめでとうございます!!
 
 
 
 


 
 
 
 
 



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2015年1月29日木曜日

ドカベンと共演したプロ野球選手―小林幹英(広島一軍投手コーチ)






















小林幹英一軍投手コーチ

1974年1月29日生まれ
みずがめ座 O型
広島生まれの新潟育ち
身長181㎝/体重90kg
右投げ右打ちの元投手

【経歴】
新潟明訓高等学校ー専修大学ー
プリンスホテル

1997年ドラフト4位で広島に入団
初出場は1998年4月3日の中日戦
          (広島市民球場)

クラブを突き出す独特のフォーム
が特徴的だった


黒田投手の大学の先輩で
カープでは後輩


新潟明訓高校がドカベンの明訓高校の
モデルとなった事からマンガに登場する


2015年は新生カープ投手陣を
一軍投手コーチとしてお願いします


小林幹英コーチ
誕生日おめでとうございます!!





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2015年1月27日火曜日

僕が新人王・大瀬良大地(広島東洋カープ)を応援する最大の理由
















セリーグ新人王

















大瀬良大地投手おめでとうございます!!






そんな大瀬良大地投手を僕が応援する
最大の理由が…










僕の娘が小学一年生の時
聴覚障害者の弟(僕の息子)に対して

『弟がこんなんじゃなかったら
 よかったのに…』


と言っていた僕の娘






















補聴器と人工内耳を装着している弟に
『〇〇ちゃんの弟、お耳に変なのつけてる』
『〇〇ちゃんの弟、なんか気持ち悪いね』
とお友達から言われた僕の娘





僕の息子に対する子供達の素直な反応に
大人の私でも崩れそうになる程の気持ち


まだ幼い娘が
その事に対応できるはずもなかった…


そんな時に僕たちの目に飛び込んできた
大瀬良大地投手のドラフト会議のニュース



大瀬良大地投手の弟・元気を喜ばせる
ために野球を続けてきたというニュース

ダウン症の弟を喜ばせたいという兄弟愛


大瀬良大地投手が
自身の弟と笑顔で向き合う姿に

まだ小学生で幼い僕の娘にも何か?
伝わる事でもあったのだろうか…


その日から自分の弟に対して一切の小言
を言わなくなった僕の娘



そこから何となくだが
大瀬良大地投手の精神の根底にある
何か?を垣間見た気がした





別に障害者と障害者の家族の気持ち全て
を背負って投げて欲しいわけではないが…

そう気持ちの上に更にカープ優勝の為に
投げている大瀬良大地投手の器の大きさ


家族の事でテンパっている僕自身の
器の小ささに気づかせてくれた…感謝



大瀬良大地投手が、投げている姿に
力を与えられる人がたくさんいるんだぞ!
と大きな声で叫びたくなった!!



だからこそ新人王ごときで終わる投手では
無いと思ってるし

これからも広島東洋カープのため
背番号『14』を背負って
津田恒美投手を超えられる投手だと思う





広島東洋カープ優勝に欠かせない投手の
1人として
もっともっと活躍して欲しい







広島東洋カープファンとして…



そして一人の人間として…



これからも大瀬良大地投手を応援します!




頑張れ!!
大瀬良大地投手☆



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愛されキャラの新外国人⇒マイク・ザガースキー


 
 

マイケル・ジャスティン・ザガースキー
 
 
1983年1月27日生まれの新外国人
アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハ出身
 
身長183㎝/体重109kg
 
左投げ左打ちの投手
 
【経歴】
ミラード北高等学校ー
カンザス州立大学
 
 
2005年MLBドラフト12巡目(全体367位)で
フィラデェルフィア・フィリーズが指名
 
 
2005年フィリーズ
    (メジャー初出場は2007年5月25日)
 
2012年ダイヤモンドバックス
2013年パイレーツ
2013年ヤンキース
2013年アスレチィクス
2013年ヤンキース
2014年インディアンス
2014年ブルージェイズ
 
そして2015年は広島東洋カープで
活躍が期待される32歳
 
 
最速152キロのストレート
スライダー
チェンジアップ等が主な持ち球
 
 
キャラが先行してる感は否めませんが
1月27日はザガースキーの誕生日です!!
 
 


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2015年1月26日月曜日

カープマニアの親父の衝撃の一言から 親父と語り合った病室での時間
































カープがCSに行けないなら
死んだ方がましだと言った親父

親父はカープまにあ
親父は強い
親父は僕を守ってくれる


それが永遠に続くと信じていた僕


親父の口から『死』という言葉が出て
親父と僕の間の『死』と言う言葉の壁
僕の心の中でガラガラと
音を立て崩れ去った気がした





僕もそろそろ東京に戻らなくては
ならない
タイムリミットを迎えた僕は


今まで自分のやりたいように生きると
独り暮らしをしていた親父に聞いてみた





僕  『親父 東京来るか?』
親父『東京なんか今更行けるかー』

僕  『病院のベットでこのままは
    やめてくれよー』
親父『頑張ってリハビリするわいのう』



そして気になっていても
絶対に聞けなかったあの一言

あんなに強かった親父が
小さく弱く見える 今なら聞ける

そう思った僕は思い切って聞いてみた




僕  『病院退院したら…

    どこで死にたいん?』

親父『カープのある広島なら
    どこでもええわい』


僕  『じゃあ呉の家から江田島へ
    引っ越して姉ちゃんに面倒
    みてもらいんさい』

親父『もうお前らの言う事
    聞くしかないのぅ…』




子供達には迷惑かけまいと
意地を張り続けた親父が
僕達の前で初めて意地を張るのを
やめた瞬間


僕が1歳半で母親と別れてから
住み続けた家を…

母親が大きくなった僕達に会いに
来るかも知れんと住み続けた
築40年以上たったボロアパートを

親父が離れる日がとうとう来た



親父を目の前にして『親父の死』
について初めて本音で向き合った…



そして僕はふと思った…


東京に出てきてから
僕の親父が大好きだったカープを
親父と同じ様に真剣に応援していなかった


親父が人生をかけて愛したカープ



僕もその親父の子供なら
きちんとそれを継がなければいけない


東京に出てきて抑えていたカープ愛



これからはきちんとカープを応援する


病院のベットの上から起き上がれない
親父の口から出続けるカープ愛を



僕自身きちんと継がなければいけない




そう強く思った


親父と本気で死について語った
病室での貴重な時間











これからはちゃんとカープを応援するぞ☆





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2015年1月25日日曜日

独特のフォームから繰り出されるクロスファイア―岩見優輝投手




















小学4年生でこの試合を見て
熊本工業に入る事を決断



1987年1月25日
大阪府門真市出身の
岩見優輝投手






















独特のフォームから繰り出される
最速146キロのストレート
チェンジアップ
スライダー
クロスファイヤー


2015年背番号28番を新井貴浩に譲り
46番で心機一転

活躍を頼みますよ!!



頑張れ!!岩見

頑張れ!!広島東洋カープ☆


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国立病院のベットの上で…カープ親父の口から出た『衝撃の一言』とは?

 



















2012年10月
カープのCS敗退にがっかりしてた頃

普段 お盆・お正月前しか連絡の来ない
広島の姉からの突然の電話


午前10時 仕事の真っ最中だった


姉『昨夜 お父さんが病院に運び込まれた』

僕『なんで?』

姉『詳しい事はあれじゃけど…
  とりあえず大丈夫じゃけん…』


(大丈夫なら電話してこんじゃろうに?)
すぐに仕事を切り上げ
広島行きの新幹線に乗り込んだ







夕方 親父が運び込まれた国立病院に着く


変わり果てた親父の姿に






一瞬 言葉を失う


親父の顔が夏にあった時の半分に見えた



目もくぼみ 顔がげっそりしていた




姉『昨日 運ばれたときは髭もボウボウ
  じゃったけん…見とれんかったよ…』




夏に親父の事で姉と話し合って決めた
僕の東京からの週一回の電話と
姉が一時間かけて親父を訪問する事

こんな事態は全く予想していなかった


看護婦さんからも
『昨夜 運ばれてきた時は
 仙人のようじゃったんよ』と言われる



義理のお兄さんも付き添ってくれて
大分 迷惑をかけてしまった…



僕『おやじー わしよ わかるん?』

(まるでドラマのワンシーンだなぁ)
と心の中でつぶやきながら声をかけた


ベットに横渡ったまま起き上がれない
親父

まるでスローモーションのように
視線だけこちらに向ける…






親父の口からやっと出てきた言葉?

『ぉ―ぉっー』

かすれるような声(?)




声ではなく単なる音にしか聞こえない

腹の底からではなく 

口の先 唇からやっと出てきた様な音



これが あの親父なのか?




大きな大きなトラックに乗って
僕を育ててくれて
僕の東京行きを応援し続けてくれた


あの親父の姿はどこにもなかった…





姉から聞かされたのは
自宅で倒れていて
少しでも発見が遅れていれば
命はなかっただろうとの事

意識ははっきりしているが
自分の力で起き上がる体力は無い



姉の話を要約すると
トラック野郎時代の仲間と酒を飲み
飲みすぎて自宅で倒れていたらしい…


親父の嘔吐物などで自宅は
足の踏み場もない程
ひどい状態だったと…

心電図から
実際に二度 心臓も止まっていて
血圧も210を超えていて
いつ死んでもおかしくない状態

いわゆる危篤状態で国立病院へ
運び込まれたのだという事だった





体の半分は腐っていて
体中に雑菌が回り
いつ どんな合併症が出ても
おかしくない状態だという事




僕がこの世に生まれてから
僕の親父が飲みすぎて
ぶっ倒れる姿など見た事はなかった…



僕『なんで?
   
  なんでそがいに飲んだん?』






親父の口からやっと出てきた言葉




『カ - プ』







『ま け て 』





『 く  や  し ゅ う  て の ー 』






2012年夏

僕が親父と会った時には
ヤクルトと3位を争い

『今年こそは行けるかのー』

とカープのCS進出をめちゃくちゃ
楽しみにしていた僕の親父


定年を迎えた僕の親父の唯一の楽しみ
それはカープの応援だけだった

勝負の9月に大連敗で
その年のカープファンの夢は終わった…



独り暮らしの親父が心配で
携帯電話も持たせたはずなのに

使われる事の無かった親父の携帯

姉の話では倒れた横に充電されたままの
携帯が落ちていたと…


僕『なんで誰かに電話せんかったん?』




国立病院のベットの上で

病室の白い天井を見つめながら

カープ親父が言った

体力を振り絞って言った一言は






『    な     か  






         な        か







 
    し      ね      ん   
 





             も    ん 
 





 


      じ   ゃ       の  … 』














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2015年1月23日金曜日

広島東洋カープが大好きな僕の親父との思い出の『広島市民球場』

 
 
 
 
 





















ライトスタンドが残された『広島市民球場』跡地






物心つくころには親父と姉の3人家族だった…

家族3人で外出した時の、母親の居ない家族に
向けられると思い込んでいた

なんとも言えない冷たい視線に対して
子供心に傷ついたあの頃の自分

いつしか家族3人で出かけようとは言わなくなった…





そんな幼い頃の僕にとって
唯一家族で行けた思い出の場所

そうそれが親父と姉と3人で出かけた
『広島市民球場』だった…






市民球場に行く事が決まった日には
朝からそわそわドキドキしていた(ような気がする)

お昼過ぎにJRの呉線にサンダルのまま飛び乗り
広島駅から路面電車で繁華街へ

僕の記憶の片隅に残っているのは
『新天地』という名の路面電車の駅の看板と
『みっちゃん』という名のお好み焼き屋の暖簾
この二つだけは今でも僕の心の中に強く残っている


そこで遅い昼食なのか?早い夕食なのか?
わからない中途半端な時間に食べた
甘いおたふくソースがたっぷりの
大きな大きなお好み焼き

僕と姉が食べきれない大きさのお好み焼きを
ほおばってる横で冷やしトマトと生ビールで
一人 上機嫌の僕の親父

腹一杯の僕と姉と上機嫌の僕の親父の3人で
広島市民球場へ…



広島市民球場の外にまで聞こえる大歓声に
ドキドキしながらチケット売り場へ

たしか子供は800円だった(?)外野席のチッケトを手に
真っ赤に染まったライトスタンドへ



熱狂的なカープファンを横目に
だいたいライトのポール際
記憶があいまいではっきり思い出せないのだが
(タカギベーカリーか?リトルマーメイドだったか?)
広告看板が目に入るか入らないか位の位置が
僕の親父の自由席の中の指定席だった

ボールを追うたびに広告看板を避ける僕の姿は
その当時の古葉監督の様だった…(笑)

たぶん恥ずかしがり屋の父親が熱狂的なカープ応援団
の中で応援できるギリギリの場所だったのではないかと
今では思うのですが…


ビールの売り子さんから買って生ビールを
とてもおいしそうに飲んでいた僕の親父

僕は大人になって開放的な球場で飲む
生ビールのおいしさに納得した


僕の親父のおつまみのフライドポテトが
僕と姉の球場での楽しみのひとつでした


ほろ酔い気分の僕の親父から飛び出す
相手チームへのやじ

そして熱狂的なライトスタンドの中で過ごした時間

思えば家族三人で過ごした最高の夏休みの思い出
でした




興奮も冷めやらぬまま帰りの電車に乗り込み
自宅の最寄り駅に着く頃はいつも深夜

その時間に開いているお店と言えば
その当時オープンしたばかりの
コンビニエンスストアーだけ

まだ小学生だった僕が深夜のコンビに行けるのは
広島市民球場帰りのこの日だけ

いつも『買いたいもん買いんさい』と僕の親父
普段から優しい親父が一層優しく感じたあの日

カープが勝っても負けても家族三人で過ごした
広島市民球場帰りの日は上機嫌だった僕の親父
(もちろん勝った方がなお良いが…)

 
























あれから30年近くたちすっかり変わり果てた
『広島市民球場』


しかし 僕の心の中の『広島市民球場の想い出』は
いつまでも変わる事はない



今度は元気になった僕の親父と
新しくなった『マツダスタジアム』に行く日は
来るのだろうか…?




僕が20年前に東京に出てきて忘れかけていた事


親父の意識がはっきりしてるうちに

広島東洋カープの日本一を






切に願う…☆









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2015年1月20日火曜日

まだ夢の途中ですから…カープ日本一まで起こさないで下さい…ZZZ




















いつも男前コメントのキング・カズ



『いつまで現役を続けるんですか?』
の問いに



『まだ夢の途中ですから
僕の事を起こさないで下さい』
と答えたと言われるキング・カズ






もしも黒田博樹投手だったら…
『いつまで現役を続けるんですか?』




『まだ夢の途中ですから
 カープ日本一まで起こさないで下さい』

と勝手に男気コメントを想像…(笑)










そこで今年のカープファンが一言

『黒田投手復帰の夢の途中なので…
 カープ日本一まで
 まだ私達を起こさないで下さい』





今シーズンの期待感は半端ないです!!




頑張れ!広島東洋カープ!!




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2015年1月17日土曜日

黒田博樹投手はとんでもないものを盗んでいった…














『黒田博樹投手
 彼はとんでもないものを
         盗んでいった』



























『それはカープファンの心です!』











2015年1月17日
日本テレビ系列で放送された
『ルパン三世 カリオストロの城』
14回目のテレビ放送で
視聴率が14%を超えたらしい





『天空の城ラピュタ』の『パルス』

に続いて新たなブームの予感







そして2015年黒田投手復帰で
カープファンの新たな予感


頑張れカープ!!

今年こそ悲願の日本一を☆




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2015年1月11日日曜日

1月11日はイチ・イチ・イッチーの誕生日!!


 
1991年1月11日生まれの一岡竜司投手
誕生日おめでとうございます!!

リーグ優勝でセリーグ一位
CS優勝で一位
そして日本一

広島東洋カープの優勝のため
かかせない投手の1人です!!

初めてのシーズンオフでは
性格の良さから全てのオファーに対応し
某カープの大先輩からブログ内で
芸能人並みのスケジュールをこなす
イッチーのオフの過ごし方を心配する声
もありましたが
まだまだ24歳
若さで乗り切れると思ってます




2015年日本一になって
もう一度『カープに来て良かった!』
と博多弁で言って下さい!!

2015年カープ日本一の為
よろしくお願いします☆




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2015年1月8日木曜日

健太は健太でも栗原健太!!今年は頼むぜ~まじ~












栗原健太選手
誕生日おめでとうございます!!



 1982年1月8日生まれ
山形市天童市出身
身長183㎝
体重95kg


新井貴浩も復帰で
キングコング砲

2015年何発見れるかな?

2015年カープ優勝の輪の中で
はじける栗原健太選手の姿
期待しています


健太は健太でも
前田健太だけじゃない

栗原健太もいる!

そんなスポーツ新聞の見出し
期待しています



投の健太は前田健太

打の健太は栗原健太

2015年カープ日本一のため
よろしくお願いします!!





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2015年1月7日水曜日

2015年の新年会でプロ野球ファンと『カープ女子』について語り合った結果
















2014年流行語『カープ女子』の話題は
そろそろ良しとして


東京での新年会は
ジャイアンツファン
阪神ファン
日ハムファン  等々

様々なチームのファンの交流の場となる













『カープ女子の次は虎子?』





















『虎子って?やばいでしょ(笑)』



『カープ女子の次はオリ姫?』
『ベイガール』
『ハム子?』
『ボンレス・ハム子なんていけそうじゃん』
なんて話を冗談交じりに…


そんな中ジャイアンツ女子は?

以前『カープ女子』を題材にしたブログの
コメントの中に
ジャイアンツ女子は『ジャイ子』だってっと
言う趣旨の私の発言にみんな食いつく…



『ジャイ子?』











『ジャイアンの妹の?』





『でも今ジャイ子って言ったらこの人でしょ?』





















『あっちゃんのジャイ子なら全然いいじゃん』
ってジャイアンツファンの切り返しに


『いいや ジャイ子はジャイアンの妹でしょ?』


『いいや ジャイ子はあっちゃんでしょ?』





『ジャイアンの妹でもあっちゃんでも
そんなんどっちでもいいよー』
と言い出す虎ファン
















『やっぱり あっちゃん かわいいよね』
ってみんなおっさん…(笑)



酔いも回って
『ジャイ子のジャイ子はジャイ子でしょ?』
『だからジャイ子のジャイ子は
 どっちのジャイ子?』

ただみんな言いたいだけ(笑)














『ジャイ子のジャイ子はあっちゃん?』
『ジャイ子のジャイ子は
 ジャイアンの妹でしょ?』

って言い回しが面白くなってきた所で
新年会もお開きに…(笑)









2015年もこんな仲間たちと
広島カープを中心にプロ野球の話題で
楽しく盛り上がっていきたいと思います


2015年もカープ女子がただのブームで
終わらないように…☆






東京でも広島東洋カープの話題で
盛り上がりますように…☆



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2015年1月6日火曜日

【奇跡の復活】東京のジャイアンツファンも一目置くラッキーストライク男












『河内君知ってる?』



カープファンならもちろん知ってるけど…







東京で少年野球のお手伝いをさせて頂い
ている僕にとって野球好きの方との会話
も自然に多くなるが

その相手のほとんどはやはり東京では
ジャイアンツファンばかり…




少年野球チームのパパさん達と初対面で
お互いの事をお話しする会話の中


僕が『広島から上京してきました』と言い



『かわうち君知ってる?』





と聞き返してくるジャイアンツファンのパパ
ほぼほぼ國學院久我山高校野球部出身者
の方だという事が20年以上も東京にいれば
だいたい想像がつくようになってきた…


僕が『久我山ですか?』と聞き返し

ニコニコする方は100%久我山の野球部
出身者の方だ


東京でカープが好きだと言っても
変な顔されない方法を見つけた


逆に握手まで求められ仲良くなれる


そこにはただただ白球を追いかけていた
懐かしい日々しか頭の中にはない







東京で『カープが好きだ』と初対面の人に
話して変な顔をされ続けた日々



2012年カープ4位でCSに行けない事が
分かった後 広島にいる僕の本当の親父
がヤケ酒をして倒れた

70歳近くになる親父が生きてるうちに
夢見たカープの優勝が見れないならと…



高齢者の鬱のような状態で病院のベットに
横渡る変わり果てた親父

医者『このままでは寝たきり状態も
           覚悟してください』

僕『寝たきりにならないために
     どうすればいいんですか?』

医者『家族の方がお父さんに
    生きる勇気を与えてください』



生きる勇気?…


僕の親父の生きる勇気って…


僕の親父の事を僕自身がもう一度考えた




いつも赤いジャンパーを着ていた親父

カープのカレンダーとカープの見出しの
スポーツ新聞に囲まれた親父の部屋





そして僕は寝たきりの親父の耳元で

『もう市民球場じゃないけど
      マツダスタジアムに行こう

  カープの応援しに一緒に行こうや』



その日から一週間で人に支えられながら
ベットの上で体を起こせるようになった


それから一か月
夜行バスで広島に戻った僕に

『わしが元気になったら
     カープも優勝できるかのー』

と親父が笑顔で話しかけてきた


病院のベットで死んだような顔をしていた
あの親父に生きる勇気を与えてくれた

広島東洋カープ!!


僕自信もう一度カープを応援しよう
東京でもちゃんとカープを応援しよう
と強く心に誓った

70歳近い僕の親父が頑張っている
40歳手前だった僕も親父を応援出来る事

なれないパソコンの前でなんとかこうして
自分の事を書ける事が出来る様になった

親父が生きる為ならなんだって出来る
40歳手前で親父から勇気をもらった僕


僕にとってカープを応援する事は
     親父に生きる勇気を与える事

親父に生きる勇気を与えるためには
 カープを応援し続けなければならない


奇跡の復活とまでは大袈裟だが
なんとか支えられながら歩けるよう…

自分の足でマツダスタジアムまで
行けるようになるまで頑張る親父の姿

僕自身も親父から頑張る勇気を
たくさんたくさんもらった


僕も少年時代を思い出しカープを応援
する中でカープのプロ野球カードを集
めたあの日を思い出しながら



もう一度カープの選手の事を
もっと知ろうと思って始めた

僕自身のカープ選手名鑑

カープの選手の中で奇跡の復活
と言えばやはりこの人が思い浮かぶ




【河内貴哉】投手


1982年1月6日生まれ
京都府出身
東京都杉並区育ち
國學院久我山高校卒


ラッキーストライク男

1991年ドラフト一位
当時の達川監督が
当たりくじを引いたとき
ポケットの中から…





タバコの『ラッキーストライク』を出し
『ラッキーストライク男』としても有名に
なったが

決してラッキーな人生ではなかった…






怪我さえなければ
間違いなく大野豊の24番を継ぐ
左のエースになっていたはず



肩関節唇と腱板部の修復手術



つらいつらいリハビリを乗り越え


一度は戦力外となった



 124番の河内貴哉
124番という河内貴哉投手にとって
屈辱的な背番号も経験した




人間だれしももうダメかと思う瞬間は
あると思う



でも河内投手はあきらめなかった

自分はやれる

もう一度プロのマウンドで投げれる

おそらくそう信じ続けて


一軍のマウンドに戻って来た







奇跡の復活…





もう一度24番を背負い直し
奇跡の復活を見せてくれた

魂のピッチングを見せてくれるはず

ちなみに東京で24番と言えば
高橋由伸選手(巨人)か
中畑清(現横浜監督)を
思い浮かべるらしい…


2015年河内貴哉投手のピッチングで
カープが勝利する日が増える事

そしてカープ優勝の輪の中で
河内投手が笑っている日が来る事


頑張れ!!河内貴哉投手
優勝だ!!広島東洋カープ☆




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