2015年6月23日火曜日

原爆ドームの目の前で世界中のこどもが笑顔でピースサインできる日<前編>

2014.8.10原爆ドーム














原爆ドームの目の前で世界中の子供達が

笑顔でピースサインできる日






<前編>第一章

『先生!なんでピースサイン

      しちゃいけんのですか?』



今からおよそ30年程前

当時小学5年生だった僕が初めて社会見学で【原爆ドーム】を訪れる際の注意事項の一つ


“ピースサインをしてはいけません”


という担任から生徒への言葉






その当時の僕が担任の先生に質問したのが冒頭の


『先生!なんでピースサインしちゃいけんのですか?』


担任の先生への僕からの質問に、担任の先生の顔が急に暗くなったのを感じたのを、おぼろげな記憶の中で今でも思い出す。



たった一つの爆弾

原子爆弾

いわゆる原爆




このたったひとつのげんしばくだんで
おおくのいのちがいっしゅんのうちにうしなわれ
おおくのひとがそのこういしょうにくるしめられた
いまもなおくるしんでいるひともいる…






広島で育った小学5年生の私だって、そんな事は何十回と聞かされ充分理解していたつもりでした。

今でこそ英語は小学生の必修科目になりましたが、30年以上も前の小学生には、英語は中学生になってからが当たり前でしたし、“ピースサイン”=平和のしるしという勘違いと、平和へのアピールになんで明るい表情でピースしちゃいけんのだろう?という前向きな思いでの質問でした。

(何を今さらこの子は言いよるんじゃろ?)という担任の気持ちが表情にあふれていたのを今でも思い出します。

それ以降の僕は心の中で(平和をアピールするのに、笑いながらピースサインしちゃいけんのじゃ)という事が心に刻まれ、二度と平和へのアピールに笑顔でピースサインする事と、その事を言葉にする事はありませんでした。







そして実際に訪れた【原爆ドーム】

広島平和記念公園内でのクラスでの記念撮影でも、カメラマンのおじさんに言われた言葉は

「絶対に笑わんでね」
「歯を見せちゃいけんよ」
「もっと暗い顔をして」


子供心に‘核のない世界平和を目指す事’を伝えるための【原爆ドーム】の目の前で、笑顔で笑いながら今の平和な世の中をアピールする事が世界平和へのアピールなんじゃないんか?と思い描いていた僕の心に、世界平和へのアピールは、この世界初の原子爆弾の犠牲となった広島の地で、その象徴でもある原爆ドームの前で、子供たちも暗い表情・暗い顔をして世界に平和をアピールし続ける事こそ世界平和への広島の思いだ!!と深く心に刻まれた事が、僕が初めて【原爆ドーム】を訪れた時の感想でした。







【原爆ドーム】の目の前では子供達も

・笑顔を見せてはいけない

・ピースサインをしてはいけない

・悲しみに満ちた表情で過ごさなければいけない



これが【原爆ドーム】からの世界平和へのアピールの仕方だ!
という事を教えられた貴重な一日でした。


宮島の大鳥居の前や鹿に餌をやりながら自然と笑顔がこぼれ、

カメラを向けられれば自然とピースサインしてしまう子供達でさえ、原爆ドームの前で笑ってはいけない!ピースサインをしてはいけない!特別な場所となりました。それは核戦争のない平和な世界を実現するまで続く広島の抗議活動だという事は充分、学べた様な気がします。










<前編>第二章

『わしの事は忘れてもええけど

 広島で育った事は絶対忘れんので』


戦後70年の今

おそよ20数年前に、広島から東京に旅立つ僕にかけてくれた、高校の担任の先生の言葉が深く心につきささる。
世界で初めて人類史上初めて‘原子爆弾’の犠牲になった広島の持つ意味が戦後70年の今、改めて深く重要な事で、その広島で幼少期から青春時代を過ごした意味を改めて考えていたら、
ふと頭の中によぎった高校の担任の先生の言葉


『わしの事は忘れてもええけど
広島で育った事は絶対忘れちゃいけんよ』



その当時は全く気にも留めなかった何気ない言葉だったのに、戦後70年たった今その言葉を思い出し、この先もその言葉の持つ意味がどんどん重くなっていく気がした。広島から世界平和をアピールし続けながら、いっこうに進まない‘核のない平和な世界’の実現どころか、核が世界の重要なビジネスのひとつとなりつつある今日、改めて広島で育った事の意味を考え直したら、あれから20数年何をして過ごしてきたんだろうという自分自身の情けなさと非力さを思い知らされた。
広島に残って【原爆ドーム】のある広島から世界平和を訴え続ける道を捨て、世界平和を訴え続けた広島から一旦離れて、外から広島を眺めてみたくなり東京へ出て行く事を決意してみたが、
戦後70年たってから改めて広島で育った意味が僕の胸に大きく重く深くのしかかってきた。


高校の担任からは『わしの事は忘れてもええけど』と言われたが、高校時代の友人からは『東京へ行ってもわしらの事は忘れちゃいけんよ』と言われながら、高校時代の最後の瞬間を楽しんだ友人達とは、最後にみんなで笑顔でピースサインをしながら写真に納まった。僕だけじゃなく誰にとっても青春時代を過ごした仲間とその仲間と過ごした貴重な時間は、人生にとって何物にも代えがたい素晴らしい記憶である事は間違いない。その記憶の中の一つに『原爆ドームの前で笑顔でピースサインをしてはいけない』事が刻まれた事実も変える事は出来ない記憶の一つとなった。













<前編>第三章

『なんでうちが原爆のせいで

こんなに苦しまんにゃいけんの?』









公衆電話の受話器から聞こえた衝撃の言葉


僕が東京に出てきてしばらくは、広島の友人の事を忘れる所か、ホームシック気味の僕にとっては非常に貴重な存在で、その当時は携帯電話などなかった時代に活躍したのが公衆電話でした。時間さえあれば親の仕送りの一部でテレホンカードを買い、広島の友人に片っ端から電話しまくっていた中、友人の一人が入院した事を知らされた。広島でなければ病気の一つだったのかもしれない。







聞かされた病名は





“白血病”



世界中でこの病気と戦っている方も、現在だ多くいらっしゃるので、その事で僕なんかがあまりごちゃごちゃ言いたくない。いや、言えるはずもない…





ただ


『おばあちゃんがきのこ雲を見た』




というだけで広島ではその意味が変わる





子供の頃から8月6日は必ず全校登校日で8月6日の朝8時15分には必ず平和祈念式典を見ながら、一分間の黙とうを行い、その後体育館などに全校生徒が集められ、被爆者の語り部の方からの被爆体験を毎年、毎年聞いてきた僕たちにとって『きのこ雲を見た』事の意味は充分理解しているし、白血病が原爆症の一つである事も充分知っている。その病状がどんな事であるかも子供の頃からたくさん聞かされて、充分理解していた。その病状が実際に自分の身に起きた時、18歳の少女は何を思ったか想像するとに耐え難い。



『うち絶対この病気に負けんけえ

 みんなの前で元気な姿を見せるの待っといて』

そう言われて東京から広島へ駆けつける程の事でも無いと高を括っていた。彼女がどんなに苦しんでいたかも想像出来ずに、いつかまた元気に笑いながらピースサインできる日が来ると信じていた。高校の同級生たちもみんなそう信じていた。高校時代の彼女は陸上の選手で、活発な女の子だった。体力も充分あるはずだから大丈夫と思っていた。赤い色のジャージの似合う笑顔が素敵な女の子だった。高校時代のアルバムの中で彼女は、確実に笑顔でピースサインしていた。同じように笑顔でピースサインし出来る日がまた必ず来ると信じていた。





卒業アルバムの中では

彼女は笑顔でピースサインしていた











<前編>第四章



『いつ世界平和を叫べばいいんですか?』




無事、大学も卒業し社会人となった僕は広島に戻らず東京の街に残る事を決意して東京に残った。東京にいても広島からの世界平和への叫びは届いていたし、自分でも東京にいて何か世界平和に向けて出来る事はないかずっと思い続けていた。東京に出てきても8月6日8時15分には必ず一分間の黙とうを捧げるようにしていた。ただその年の8月6日は朝7時半からの早朝の営業会議の日と重なった。会議冒頭から時間が気になって仕方なかった。早く会議が進めば8時15分には会議も終わると思っていた。しかし思うように会議は進まない。そしてとうとう8時15分を迎える前に手を挙げてしまった。







『8月6日8時15分は原爆で亡くなった方への黙とうと世界平和への祈りを捧げなくていいんですか?』と僕


『はぁ?何言っちゃってんの?』という場の凍りついた空気



営業部長から『今の会議中に言う事かね?』





8月6日8時15分に世界平和を叫ばなくていつ叫べばいいのですか?世界平和より大事な会社の営業成績っていったい何なんですか?平和だから会社の営業成績の事も考えられるのにと言う思いとやはりこの場での発言は不用意だったという思い。広島で原爆の事・世界平和への想いは充分学んだつもりだった。しかし世界平和をいつ?どんなタイミングで叫べばいいか?まで教わらなかったし、8月6日朝8時15分の一分間の黙とうを習慣づけられた僕にとって、同じ日本でもその日を特別な日と思っていない人もいる事を知る事が出来た様な気がした。会社の慰安旅行などでカメラを向けられれば笑顔でピースサインしている人達に、笑顔でピースサイン出来る大切さを伝えるにはどうすればいいのだろう?


僕はいったい『いつ世界平和を叫べばいいんですか?』
















<前編>第五章






『結婚式で原爆ドームはいけんじゃろ』



東京へ一通の封筒が届いた。広島の友人からの結婚式出席へのお願いの封筒だった。僕は仕事のスケジュール調整をして出来るだけお祝いの席に出席するようにしていた。そして必ず話題になる、結婚式の中で行われる友人の余興の事。広島でなくても結婚式でのお祝いの言葉・友人の余興などの出し物は、お祝いにふさわしい物でなければいけないのは全国共通だと思います。広島と言えば宮島・原爆ドームなどたくさんの世界的に有名な観光地があるが、お祝いの席にふさわしくないという理由から、友人の余興・結婚する二人の馴れ初めの紹介などでも原爆ドームを話にする事は暗黙の了解でタブーとされていました。

今から10~20年前に出席させて頂い結婚式ではみんな笑顔でピースサインして写真に写っているが、原爆をネタにする事は絶対にタブーであった。みんなが自然と笑顔になりカメラを向けられれば思わずピースサインしてしまう場面での原爆ネタは持ち出してはいけない事でした。




『結婚式で原爆ドームは絶対いけんじゃろ』















その常識が今変わりつつあるのを最近感じる出来事からは
後編でお話ししたいと思います。





ユネスコ認定の海洋アニメです
せんすいかんウーリー!

幼児教育  におすすすめです。










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